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臨床検査技師100人カイギ 第20回(最終回) 感想

更新日:2023年12月22日



臨床検査技師100人カイギ第20回
臨床検査技師100人カイギ第20回

2023年8月27日に開催された臨床検査技師100人カイギの感想を書いていこうと思います。

最終回ということですが、やはり興味深いお話をたくさん聞くことができました。

詳しい講演の内容はアーカイブをみていただくとして、講演をきっかけに私が考えたことをつらつらと語っていこうと思います。


〇1人目 大川さん

「研究」を軸にお話をされました。

研究できる環境に行きたいけれどそれが難しいジレンマをどう乗り越えていったのか、そして研究をしてきて何が良かったのかということを熱い想いをもって伝えてくれました。

グローバル化への展望もあり、未来につながっていく話でした。


私も鳥取大学大学院医学系研究科修士課程を終えています。そこでは胆嚢壁の超音波像から胆嚢癌の深達度診断について研究していました。当時、指導教官であった廣岡保明先生が私がこんなことを調べたい!と希望したことについて、相談に乗って環境を整えてくれたおかげでとても充実していました。もちろん大変なこともありました。手術後の摘出された胆嚢の標本エコーを撮像するために夜中の0時まで手術が終わるのを待って、それからエコーをとって…

しかし、そんな大変さも含めて今の私の糧になっています。

大川さんも話されていましたが、研究が自己投資と研鑽となっているのです。

働きながらの研究は難しいと思いますが、あまり本格的なことをぎちぎちにやるより、日常で気になっていることを日々こつこつ調べてまとめていくことも大事かなと思います。

私は数年前からずっと、肝血管腫でTICを描かせて特徴的所見である腫瘤自体の輝度変化を可視化できないかなと思っています。残念ながら現在メインで使用している装置にTICを描かせる機能がないのでとん挫していますが。


〇2人目 桑島さん

桑島さんは金沢大学の4年生でSOLSのメンバーでもあります。100人カイギでは学生の生の声を聞けるのも刺激になります。

桑島さんは専門学校から4年制大学に編入しており、その想いや臨床検査技師との出会いを聞くことができました。


現代の学生の想い、私の頃とはまた違っているなと感じました。コロナ禍のあおりを最もうけた大学生活も大変だったと思います。

私が大学~大学院生活を送っていたのはもう約10年前です。当時と比べると臨床検査技師に求められることも増え、知っておかなければならないことも爆増したと思います。それをいくらインターネットで情報が得やすくなったとはいえ、私たちと同じ4年間の間(専門学校なら3年)で学ぶ負荷は大きいだろうと感じます。

また私が就職後に感じたことですが大学で習う検査技術はどちらかというと検査の歴史的なものであり、原理を知るには良いですが、それは現場でまったく通用しないということです。大学は学問をするところで職能訓練とは違うと言われればそれまでですが、実際のところ現場に職能訓練は任せている現状で、現場は人数がいるのに人手が足りないということに悩まされています。臨地実習も4年生の数か月だけでは現場を知ることが難しいです。

と、桑島さんをきっかけにいろいろと考えていることがあふれましたがこれは別の機会に語るとして、桑島さんのように臨床検査技師に憧れてくれる若者を大事にできる体制を私たち先輩が作らなければなとおもいました。


〇3人目 西垣さん

臨床工学士でもあり、大学准教授、メンター、コンサル、コミュニティ運営など幅広い活躍をされているとても熱い方です。

西垣さんはご自身で様々な発信をされていて、アクティブさがものすごいですのでそのお話を聞けて楽しかったです。あまりここで私が語るよりぜひご本人のプロフィールにアクセスしてその熱さを感じて欲しいです。


話の中に、様々な活動が職場でまったく評価されないということに疑問を持ったとありました。私もこの疑問は大いにあります。私の場合、臨床検査技師の技師会活動に特に疑問を持っています。技師会で役員をされている方々は通常業務に加えて技師会運営のために働く必要がでてきます。職場からしてみれば業務外のことなので報酬はなし。技師会側は大きな収益や予算があるわけではないので働きに対するほとんど報酬のないボランティアがメイン…それで良いのでしょうか?

また、よくベテランの方々は「若手にがんばってもらって」と口にすることも多いですが若手こそ自身の仕事で精いっぱいでかつ給与も少ないためそこに力を割こうというメリットが感じられないと思います。(実際は技師会活動を通じて人に会うことは財産になるのですがそれに気づくのは時間が必要です)

金銭的な報酬以外にわかりやすい評価が必要だと思います。それが何なのか、話し合う機会を作ることが業務時間外の活動を保つには必要ではないでしょうか?

一般職と比べても医療職の時間外活動は技術の発展、維持、継承に必要です。しかし不況が続き、人口減に向かう日本において今までと同じやり方では通じなくなってきていると思います。


〇4人目 深澤さん

日臨技専任理事の深澤さんです。私は認定認知症領域検査技師関連の講習会でお会いしたことがありました。深澤さんが大事にしていること、取り組んできたことなどを熱く語ってもらいました。


講演の中に熊本県震災時の深部静脈血栓症スクリーニングに対するお話がありました。私は常々、日臨技は他の学会認定資格とのコラボが少ないと感じていましたので、質問のコーナーで血管診療技師(CVT)と日臨技でコラボしないか聞いてみたところ、関連学会と連絡をとってみるとのことでした。エコー検査をするだけでなくCVTは弾性ストッキングの着用など幅広く学ぶ資格ですので、日臨技を通じて資格を活かしながら活躍できるようになればいいなと私は思っています。

深澤さんのような話を聞いて、こうしてみようと検討してくださる方が理事にいらっしゃることは嬉しいことだと感じたところです。

私は基本的に生理機能検査メインで働いてきたためそちらに思考が偏ってしまう傾向がありますが、深澤さんのように日臨技を運営する立場の先生は臨床検査技師という資格があまりに幅広く対応できるがゆえに、会員からあがってくる声も多種多様で、それをまとめていくということは本当に大変なのだろうと思います。

私も自分が専門的にやっていない分野の検査のこと、軽く見ることなく学ばなければと考えます。


〇5人目 細田さん

臨床検査技師100人カイギのオオトリはコニシエット/元入間市議会議員の細田さんです。トランスジェンダーの方でそれにまつわる貴重な話を聞くことができました。

当事者だからこその悩み、気づき。私も考えていかなければと考えます。


興味深かったのが肺機能検査のエピソードです。肺機能検査は男女で基準値が大きく違いますが、細田さんの場合どうしても性差で基準値から離れてしまい何度もやり直すことになったという経験があったようです。欧米ではSexとGenderを分けて考えるようですが日本ではまだまだそれが浸透していないという話もありました。これが大きなキーワードだと感じます。

これに関して少しコミュニケーションの時間に話をしたのですが、検査前にトランスジェンダーであることを申告すべきか否か、技師側が自発的に気付くか否かの話になりました。

以下は私の私見です。

私は厚生労働省として一律に問診時にSexとGenderを分けて記載し、医療情報としてカルテに記載する性別は身体の性別とするように働きかけた方が良いのではないかと感じます。現場主導にすると、先述のように当事者は言い出せず、検査者は気づかない、または気を遣って聞けないとなり、お互いに大変な思いをします。これが医療現場ではもっと大きな事態に発展しないかと私は心配します。

口頭で面と向かっては言いにくくとも文字で記載するだけならば心理的にハードルが低いのではないかと思います。

私はSNSも良く閲覧しますので偏った情報を得ていることも多いですが、医療現場での問診にすら「自認する性別」を記載し、それを現場は尊重すべきだという論調を目にしたことがあります。私はそれは医療と相性が悪すぎると考えます。肺機能で基準値が男女で違うように、他にも男女差はとても多いです。かかる疾患のリスクすら違うほど人間は身体の性別に影響を受けています。自認する性別の生き方をしたいというのは最大限尊重し、住みよい社会にしていくことが私も良いと思いますが、医療に関してはどうしても身体の性別を切り離せない。だからこそ明確にSexとGenderを分けるということが重要なのだと感じました。


ここから少し話が逸れますが、マイノリティの話をします。

私の思想ですが、人間は常にマジョリティでありマイノリティでもあると考えています。

ある面ではマジョリティ、ある面ではマイノリティ。常にどちらかに寄るなんてことは稀であり、みんなそれぞれ生きやすさと生きづらさの両方を抱えている。そして生きづらいという面がある1要素で大きくなりすぎたときに自分はマイノリティという思考に引っ張られてしまうと考えます。

私の要素を分解すると

①男性で自認も男性 マジョリティ

②身長180cm 日本ではマイノリティ

③右利き マジョリティ

④現在は生きる上で支障となる疾患はない マジョリティ

⑤1型2色覚 マイノリティ

・・・

と続きます。ジェンダーの面では私はマジョリティですが身体の大きさや色覚ではマイノリティです。

身体が大きいこと、別にいいじゃないか苦労しなくない?そう思いませんか?

実は日常の本当に些細なことでやりにくさを感じています。あらゆるものが標準に設計されているため、イスが小さい、台所や机が低い、バスや電車のつり革が頭にぶつかるなど。

しかし良い面として人混みで頭が抜きんでるのでつらさが少ない、高いところに手が届くなどがあります。

自身のマイノリティは本当に生きづらさだけをもたらしてるのでしょうか?

とはいえジェンダーの問題と比類できるマイノリティとしては私は色覚くらいかと思います。色覚は私の人生を大きく変えてきた要素であり、私はこの色覚であったことで今があると考えると感謝できるほどこのマイノリティを受け入れいています。むしろ特殊能力として活かしたいとさえ思っています。しかし、ここに至るまでとても大変な経験もしてきました。もしかしたら今の生きづらさというのはそこに至るまでの途上なだけなのかもしれません。


かなり本題から脱線しましたが、そんな色々を考えるきっかけになる臨床検査技師100人カイギは良い会でした。

9月は総まとめ会があります。

この記事を読んで気になってくださった方がいらっしゃったら総まとめ会も参加してみてもらえたらと思います。


臨床検査技師100人カイギ総まとめ

お申込みはこちら https://kensa100no99.peatix.com/



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